我等がマリー・アントワネット。

初演のことはウロ覚えながら(爆)まるで印象が変わっていました。
第一に、フェルゼンの存在感(存在意義?)が増してます。
悲劇だから仕方無いとは言え、マリーが愛らしく美しい程に胸が痛い……1番のカタルシスは、プログラムにあった年表でオルレアン公も翌月には処刑されたと知ったこと(苦笑)。



『エリザベート』の『ミルク』は聴くと高揚するし感情移入もするのに、今作やベルばらやスカピン、『1789』を観ると、ひたすら、民衆こえー…と想います(苦笑)。革命のシーンや民衆側のテーマ曲を迫力いっぱいに歌い上げられても感動より恐怖が勝ってしまう。
王妃の浪費で財政が破綻(と国民は思っている)、新聞や其れを発行する人々に煽られて革命が加速、と言う構造はほぼ同じ。
シシィに向けられる批判は或る意味自業自得だったり、彼女の方が「ひ〜と嫌いで♪」他者を切り捨てている印象もあるし、最終的な“死”=解放へ至る一要素でしかないのに対し、「あばずれ」やら「フランス語が下手」から「国家転覆を企んでいる」まで、アントワネットが浴びる非難や暴言は誤解や陰謀の積み重ねから来ているからでしょうか。
そう考えると『エリザベート』の完璧なハッピーエンドに並ぶ歴史物は難しいのでしょうね。

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